いにしえのまち

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【聖地巡礼】2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」舞台探訪まとめ

2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台情報をまとめていきます。

 

<目次>

舞台探訪記

【聖地巡礼】2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」探訪記(1)/静岡県エリア(第1回・第2回・第3回) - いにしえのまち

舞台探訪まとめMAP

 

場所別舞台まとめ(ロケ地編)

作中にクレジットされている名称より紹介します。

○伊豆の国市
・オープンセットがある場所(詳細不明)#1~

○沼津市
・金冠山山頂付近の稜線(〒410-3401 静岡県沼津市戸田)
北条館より源頼朝が馬で逃走シーン(草原)#1

○裾野市
・不二聖心女子学院敷地内(一般開放されてないため情報のみ)
→北条館より源頼朝が馬で逃走シーン#1
→石橋山の戦い合戦シーン#5 *治承4年(1180年)8月23日
→源頼朝落馬シーン#25*健久10年(1199年)2月9日
・裾野市旭滝
→八田知家土木工事で源頼朝・安達盛長(九郎)が通れない#25
・裾野市景ケ島依京寺
→源頼朝と政子が話すシーン

・忠ちゃん牧場付近(〒410-1231 静岡県裾野市須山2255−3108)
→富士の巻狩りシーン#23

○富士宮市
・西山本門寺(〒419-0313 静岡県富士宮市西山671)
→源頼朝と政子の三嶋大社デート#6
→佐竹氏征伐(金砂城の戦い)*治承4年(1180年)10月#10
・朝霧高原富士山ワイナリー付近(〒418-0101 静岡県富士宮市根原 宝山498)
→上総広常の軍勢シーン#7・源義経が鎌倉を目指す#8
→畠山重忠の乱#36*元久2年(1205年)6月22日

○下田市
・下田市吉佐美大浜海水浴場(〒415-0028 静岡県下田市吉佐美1900−13)
→石橋山の戦いで破れた源頼朝が船でたどり着いた安房の国のロケ地#6
→「一ノ谷の戦い」シーン#16 *治承8年(1184年)2月7日
→「壇ノ浦の戦い」戦後シーン#18*元暦2年(1185年)3月24日

○伊東市
・一碧湖/大池(〒414-0051 静岡県伊東市吉田815−360 伊東駅よりバス有り)
→木曽義高が撃たれる。義高を撃った藤内光澄を処刑する北条義時#18
・城ヶ崎海岸(〒413-0231 静岡県伊東市富戸)
→壇ノ浦の戦いで坂東武者達が戦況を見るシーン#18

○奥州市
・平泉町中尊寺(〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202)
→藤原秀衡シーン#10
・えさし藤原の郷(〒023-1101 岩手県奥州市江刺岩谷堂小名丸86−1)
→後鳥羽上皇御所シーン#27

場所別舞台まとめ(史跡編)

◇静岡県伊東市

・【史跡】物見塚公園/伊東祐親屋敷跡(〒414-0046 静岡県伊東市大原2丁目80−1)
→八重姫の実家。
#2#3#7#8#9
・【史跡】音無神社(〒414-0032 静岡県伊東市音無町1−13)
・【史跡】伊東祐親のお墓(〒414-0046 静岡県伊東市11)

◇静岡県伊豆の国市

・【史跡】北条氏邸跡(円成寺跡)(〒410-2123 静岡県伊豆の国市四日町字御所ノ内932)
→源頼朝が北条屋敷に居候・挙兵を決める。#1-#5 北条時政が亀の前事件後伊豆に帰り居住#14#15
・【史跡】蛭ヶ小島(〒410-2122 静岡県伊豆の国市寺家334)
→源頼朝島流の地
・【史跡】山木判官平兼隆館跡(〒410-2141 静岡県伊豆の国市韮山山木820−5)
→1180年(治承4年)8月17日夜に頼朝挙兵して堤信遠館を襲撃#5#4
・【史跡】堤信遠の館跡
→1180年(治承4年)8月17日夜に頼朝挙兵して堤信遠館を襲撃#5#4
・【史跡】江間屋敷跡/江間公園(〒410-2221 静岡県伊豆の国市南江間768−4)
→義時(小四郎)が江間の領地を相続し八重を住まわせる#12

◇静岡県伊豆市

・【史跡】修善寺鬼門日枝神社信功院(〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺964)
→源範頼幽閉される#24

・【史跡】源範頼の墓(〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺1082)
・【史跡】曹洞宗福地山 修禅寺#33(〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺964)
→源頼家幽閉&誅殺の地#33

◇静岡県三島市

・【史跡】三島大社(明神)(〒411-0035 静岡県三島市大宮町2丁目1−5)
→頼朝と政子がデート場所(史跡)として登場#2

◇静岡県清水町

・【史跡】対面石八幡神社(〒411-0906 静岡県駿東郡清水町八幡39)
→源頼朝の富士川の戦いの本陣・源頼朝と源義経の出会い#9

◇静岡県熱海市

・【史跡】伊豆山神社(〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山708−1)
→源頼朝挙兵に伴い政子、りんが匿う神社#5頼朝無事を知る#7

→重が政子を尋ねる。千鶴丸の死を知る八重#6

◇静岡県富士市

・【史跡】富士川の戦い・平家越橋他(〒417-0003 静岡県富士市依田橋町1−1)
→富士川の戦い平家本陣#9

・【史跡】井出の代官屋敷/旧井出館跡(〒418-0117 静岡県富士宮市狩宿91)
→源頼朝が富士の巻狩りの時に宿舎となった場所・曽我兄弟の仇討ち#23 *建久4年(1193年)5月28日

◇静岡県富士市
・【史跡】梶原景時終焉の地/梶原山(〒420-0903 静岡県静岡市葵区長尾1134−102)
→梶原景時が鎌倉追放され、自ら自害する場所
#28

◇神奈川県小田原・湯河原・真鶴・相模エリア

・【史跡】石橋山古戦場(〒250-0022 神奈川県小田原市石橋)
→挙兵した源頼朝が大庭景親と戦い敗北する#5
・【史跡】しとどの窟(〒259-0313 神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋)
→石橋山の戦いで敗れた源頼朝が隠れたとされる洞窟#5#6
・【史跡】岩海水浴場(源頼朝船出の浜)(〒259-0202 神奈川県足柄下郡真鶴町岩)
→石橋山の戦いで破れた源頼朝が、土肥実平の力で安房の国に船で逃げたとされた浜辺#6
・【史跡】一之宮天満宮(梶原景時館跡)(〒253-0111 神奈川県高座郡寒川町一之宮8丁目6−JR相模線寒川駅徒歩15分)
→政子の衣類を借りるため義時が梶原景時の屋敷を訪ねる#8。梶原景時をスカウト#10
・【史跡】旧相模川橋脚(神奈川県茅ヶ崎市下町屋1丁目3)

→相模川に架かる橋の供養のため源頼朝が訪れる#25

・【史跡】源頼朝落馬の地(〒251-0047 神奈川県藤沢市辻堂2丁目17−1)
→源頼朝が落馬する#25
◇神奈川県逗子市・鎌倉市エリア

・【史跡】小坪峠・光明寺の展望付近(由比ヶ浜の戦い)(〒248-0013 神奈川県鎌倉市材木座6丁目18−12)
→由比ヶ浜の戦い・小坪合戦/治承4年(1180年))#6
畠山重保が謀反を企てたと疑われ三浦義村の手によって討たれる/畠山重忠の乱#36*元久2年(1205年)6月22日

・【史跡】鎌倉市亀ヶ谷坂(〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷3丁目)
→治承3年(1179)10月の源頼朝が鎌倉入りの際に通ったとされている場所#8

・【史跡】鎌倉市寿福寺(〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目17−7 寿福寺)
→治承3年(1179)10月の源頼朝が鎌倉入りの際に陣を構えたとされている場所#8

・【史跡】鎌倉市大倉幕府跡(〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目6−26)#9-#18
→鎌倉幕府拠点・源頼朝御所#9 他上総一広常誅殺*寿永3年・1184年正月#15
・【史跡】三浦義村の鎌倉の館(横浜国立大学教育学部附属小中学校・西御門付近)(〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目)
→伊東祐親の身柄を預かる#12

・【史跡】比企氏の館(妙本寺)(〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町1丁目15−1)
→政子の源頼家を出産#12
→比企能員の乱#31

・【史跡】亀の前事件現場(小中太光家の館)(〒249-0008 神奈川県逗子市小坪地区)
→政子の指示で亀の前のいる館に燃やす#12

・【史跡】上総介広常鎌倉の館(鎌倉市十二所の三郎の滝付近)(〒248-0001 神奈川県鎌倉市十二所)
→亀の前を身柄を預かる上総介広常#12
・【史跡】満福寺(腰越状)(〒248-0033 神奈川県鎌倉市腰越2丁目4−8 満福寺)
→源義経が源頼朝宛に身の潔白を示すために書いた手紙#18

・【史跡】源頼朝の墓(持仏堂)・白旗神社(〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門2丁目5)

→源頼朝の葬儀#25

・【史跡】北条時政の館*鎌倉名越の切り通しが推定地(〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町5丁目19−6)
→北条時政が比企能員を誅殺#31

◇神奈川県横浜市

・【史跡】畠山重忠公遺烈碑(〒241-0021 神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目1(二俣川駅最寄り))
→畠山重忠の乱#36*元久2年(1205年)6月22日

・【史跡】畠山重忠の乱古戦場跡(〒241-0021 神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目1(鶴ヶ峰駅最寄り))
→畠山重忠の乱#36*元久2年(1205年)6月22日

◇千葉県エリア(全地区)

・【史跡】源頼朝上陸地の碑(〒299-2118 千葉県安房郡鋸南町竜島165−1)
→石橋山の戦いで破れた源頼朝が船でたどり着いた安房の国#6

◇埼玉県エリア(全地区)

・【史跡】木曽義高終焉の地/清水八幡宮(〒350-1305 埼玉県狭山市入間川3丁目35−10)
→木曽義高、藤内 光澄により撃たれる*元暦元年4月26日(1184年)#17

◇茨城県エリア(全地区)

・阿野全成終焉の地/大六天の森(〒321-4212 栃木県芳賀郡益子町上大羽)
→鎌倉を追われた阿野全成が八田知家に誅殺される#30

◇兵庫県エリア(全地区)
・【史跡】福原(後の神戸)
→平清盛・後白河法皇のエピソード#2#7#8
・【史跡】一ノ谷戦の濱碑 /須磨浦公園(〒654-0076 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町5丁目2)
→一ノ谷の戦い/治承8年2月7日(1184年)#16

・【史跡】鵯越の逆落とし*一ノ谷の戦い(〒654-0076 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町5丁目2)
→一ノ谷の戦いのエピソード
/治承8年2月7日(1184年)#16

◇岐阜県(全地区)
【史跡】源平墨俣川古戦場跡/義円公園(〒503-0104 岐阜県大垣市墨俣町下宿39−1)

◇滋賀県(全地区)

【史跡】大津市園城寺/三井寺(〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246−24)

→治承3年(1179年)11月に、平清盛側近の源頼政が後白河法皇の皇子である以仁王と結んで挙兵を計画する#3
→平清盛が、以仁王挙兵に加担した、園城寺を焼き討ち(治承4年(1180年)12月)

・【史跡】木曾義仲終焉の地(滋賀県粟津地区琵琶湖沿岸付近)
→木曾義仲が討ち取られる#16

◇京都府エリア(京都市・宇治市など)

・【史跡】平等院内扇の芝/源頼政公自刃の地(〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116)
→宇治平等院の戦いにて自害する場所#3
・【史跡】平清盛の終焉推定地碑/高倉天皇誕生地(〒600-8203 京都府京都市下京区屋形町7)
→平清盛死亡(養和元(1181年)2月4日)#11
・【史跡】宇治川の戦い先陣之碑(〒611-0021 京都府宇治市宇治塔川 宇治公園・中之島)
→宇治川の戦い*寿永3年(1184年)1月#16
・【史跡】法住寺/後白河法皇御所跡(〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り657)
→木曾義仲が後白河法皇・後鳥羽天皇を幽閉(法住寺合戦)寿永2年(1184年)1月3日#18
・【史跡】佐女牛井之跡(さめがいのあと)/源氏堀川館跡(〒600-8337 京都府京都市下京区佐女牛井町)
→義経、京都での拠点・土佐坊昌俊の義経襲撃現場#19

・【史跡】長講堂/後白河法皇の御所 六条殿内の持仏堂(〒600-8119 京都府京都市下京区富小路通六条下る本塩竈町529)
→後白河法皇と源頼朝の初対面#21*建久元年(1190年)
→後白河法皇崩御#22 *建久3年(1192年)4月26日

◇奈良県エリア(奈良市など)

・【史跡】東大寺大仏殿(〒630-8211 奈良県奈良市雑司町406−1)
→後白河法皇の希望#22

◇香川県エリア(全地区)

・【史跡】屋島古戦場(〒761-0111 香川県高松市屋島東町)
→屋島の戦い#18*元暦2年/寿永4年(1185年)2月19日

◇山口県エリア(全地区)

・【史跡】防府天満宮(〒747-0029 山口県防府市松崎町14−1)
→義経軍が陣を構えた場所#18

・【史跡】壇之浦古戦場(〒751-0813 山口県下関市みもすそ川町21−1番)
→壇ノ浦の戦い*元暦2年/寿永4年(1185年)3月24日

◇盛岡県奥州市平泉地区

・【史跡】接待館遺跡(〒029-4445 岩手県奥州市衣川七日市場)
→奥州藤原氏屋敷跡#20
・【史跡】高館義経堂・義経の屋敷(〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所14)
→義経、藤原泰衡の襲撃(衣川の戦い)を受け自害#20*文治5年(1189年)閏4月30日 

話別舞台紹介

第1回「大いなる小競り合い」

#1-1【史跡】北条屋敷(北条氏屋敷跡/円成寺)

→〒410-2123 静岡県伊豆の国市四日町字御所ノ内932

平治の乱(平治元年(1159年))で、源頼朝が伊豆に流刑となり北条家などがその監視をしていました。作中では、伊東祐親の娘八重と恋仲となり、千鶴丸を生まれてしまい、帰郷した祐親が激怒し、千鶴丸を川に沈め死亡させて、頼朝の命も狙おうとしてため、北条家に身を寄せていました。
北条屋敷跡は、狩野川沿いに現在でも残っており、大河ドラマも放送されたこともあり、観光地として整備されています。ここで、源頼朝は北条氏の力を借りて挙兵するまでに至ります。

#1-2【史跡】伊東祐親屋敷(伊東市内物見塚公園)

→〒414-0046 静岡県伊東市大原2丁目80−1

八重が住んでいたのが現在の伊東市の市役所付近位ある諸見塚公園の近くとされています。近くには、伊東祐親のお墓もあり、この辺が伊東という地名になったということがよくわかるようになっていました。

 <音無神社>

市内には、頼朝と八重が夜に密会していたとされる神社もあります。八重姫伝説なども残っています。八重姫は千鶴丸を殺されたことにより、自ら自害したという伝説もありますが、作中では、北条義時と結婚して、嫡男である北条泰時の母となったいうことになっています。

それにしても伊東と韮山はかなりの距離感がありますが、頼朝、八重姫は頻繁に行き来していたようです。昔の人の脚力というものはすごいものだと本編を見て思っていました。

#1-3【ロケ地】北条屋敷より逃げる源頼朝①(金冠山山頂付近の稜線)

→〒410-3401 静岡県沼津市戸田

金冠山山頂より戸田側を見た稜線がロケ地でした。このシーンでは義時が頼朝を連れて伊東祐親が攻め込んできた北条館より逃げるシーンで、いつのまにか高原を走っていました。背景の稜線や戸田地区が見えてる事、ロケ機材が搬入できる林道があることからこちらで間違いないと思われます。

#1-4 【ロケ地】奥州藤原家シーン(岩手県奥州市中尊寺)

→〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202

第2回「佐殿の腹」

#2-1【史跡】平清盛が源頼朝の一報を聞く(福原=神戸/雪見御所跡)

→〒652-0031 兵庫県神戸市兵庫区雪御所町2−1

平清盛が拠点としていた福原は、今の神戸市内にあります。都を福原に遷都しようと画策するなどの、当時は大繁栄していたとされています。今回、訪問して雪見御所跡は平清盛の御所の1つされています。

#2-2【史跡】頼朝と政子がデートする三嶋大社(三嶋大社)

→〒411-0035 静岡県三島市大宮町2丁目1−5

 北条家に潜り込んた頼朝と北条政子と結婚しますが、その過程でデートをしたとされるのが三嶋大社です。源頼朝・北条政子腰掛石という史跡が境内に残っています。

#2-3 【ロケ地】頼朝と政子がデートする三嶋大社(富士宮市西山本門寺)

→〒419-0313 静岡県富士宮市西山671

このシーンのロケ地舞台ですが、富士宮市西山本門寺の参道でした。自然豊かな場所で中世の雰囲気を出ていました。大河ドラマでカット確認をすることが出来て嬉しかったです。こちらの場所は、車で行く以外手段がない場所です。参拝者向けの駐車場が参道下と本堂の参道付近にあります。

第3回「挙兵は慎重に」

#3-1【史跡】以仁王挙兵の計画/治承3年(1179年)11月(大津市三井寺)

→〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246−24

#3-2【史跡】以仁王の乱で源頼政が自害する(宇治市平等院内扇の芝)

→〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116

治承4年(1180年)5月26日に、源頼政が以仁王を逃すために、平等院の内扇の芝自害したとされる場所です。以仁王の乱は短命で終わりますが、この後に、源頼朝・木曾義仲が挙兵します。

第4回「矢のゆくえ」

#4-1【史跡】八重が嫁いだ江間次郎屋敷(北条屋敷対岸・詳細不明)

八重が嫁いだ江間次郎屋敷は、北条屋敷の川向こうにあったという設定になっていたためその場所に行ってきました。江間と地名はこの辺りに今でも存在しており、義時が江間を領地を分け与えられた時にはこの辺りに屋敷を構えました。

第5回「兄との約束」

#5-1【史跡】頼朝が挙兵して、山木判官・堤信遠を襲撃(山木判官平兼隆館跡・堤信遠の館跡)

→〒410-2141 静岡県伊豆の国市韮山山木820−5

治承4年(1180年)8月17日に、源頼朝は挙兵しました。最初のターゲットは、伊豆国目代・山木兼隆となり、三嶋大社のお祭りの夜に屋敷に攻め込みました。

#5-2【史跡】政子達を伊豆山権現へ匿う(伊豆山神社)

〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山708−1

#5-3【史跡】石橋山の戦い(石橋山古戦場)

→〒417-0003 静岡県富士市依田橋町1−1

第6回「悪い知らせ」

#6-1【史跡】洞窟に隠れている源頼朝を見つけるも見逃す梶原景時(しとどの窟)

→〒259-0313 神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋

#6-2【史跡】三浦義澄と畠山重忠の偶発的な衝突(由比ヶ浜の戦い・小坪合戦/治承4年(1180年))

→〒248-0013 神奈川県鎌倉市材木座6丁目18−12

石橋山の戦いに加勢しようとして三浦義澄が源頼朝の敗北を知り、領地に戻る途中に平家方の畠山重忠らに遭遇したが、平和的に解決しよとするも、勘違いにより戦いになったしまった。

#6-3【史跡】源頼朝安房の国に向かう浜(岩海水浴場/源頼朝船出の浜)

→〒259-0202 神奈川県足柄下郡真鶴町岩

#6-4【史跡】源頼朝が上陸する安房の国の浜(源頼朝上陸地の碑)

→〒299-2118 千葉県安房郡鋸南町竜島165−1

#6-5【ロケ地】源頼朝が上陸する安房の国の浜シーン(下田市吉佐美大浜海水浴場)

→〒415-0028 静岡県下田市吉佐美1900−13

最寄りは伊豆急下田駅です。現地までは自転車行きました。ドラマのロケ地としても有名な場所でもあり、本編では、一ノ谷の戦い・壇ノ浦の戦いのシーンでも使われました。

第7回「敵か、あるいは」

#7-1【ロケ地】上総広常の軍勢シーン(朝霧高原/富士山ワイナリー付近)

→〒418-0101 静岡県富士宮市根原 宝山498

富士山ワイナリーというワインショップの周りに広がる草原がロケ地こちらも、ドラマのロケ地としても有名な場所でした。ワイナリーより北側の丘の方に行く道を登って行った先にこの場所があります。完全一致していることから、こちらでロケをしていることが間違いないようです。

頼朝と軍勢に加わることになった上総広常と義時が御礼をいうシーンです。こちらも、富士山ワイナリー付近の草原でした。

第8回「いざ、鎌倉」

#8-1【ロケ地】義経が鎌倉を目指すシーン・兎を捕食(朝霧高原/富士山ワイナリー付近)

→〒418-0101 静岡県富士宮市根原 宝山498

奥州平泉から鎌倉に向かっている義経のシーンです。こちらも上総広常のシーンと同じで富士山ワイナリー近くの草原でした。

#8-2【史跡】源頼朝が鎌倉入りしたルートされている(鎌倉市亀ヶ谷坂)

→〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷3丁目

治承4年(1180年)10月6日に源頼朝を大軍勢を連れて鎌倉入りして、坂東平定したとされています。その際に、亀ヶ谷坂付近を通ったとされています。

#8-3【史跡】政子の衣服を借りるために梶原景時の元に行く義時(一之宮天満宮/梶原景時館跡)

→〒253-0111 神奈川県高座郡寒川町一之宮8丁目6−6(JR相模線寒川駅徒歩15分)

義時が政子の政子の衣服を借りるために梶原景時の屋敷を訪ねます。鎌倉から程近所にある寒川にその場所があります。(最寄り駅は、JR相模線寒川駅)屋敷跡には、一之宮天満宮が建てられており、一族の墓跡もあります。

第9回「決戦前夜」

#9-1【史跡】源頼朝の御所(大倉幕府跡)

→〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目6−26

鎌倉入りした、頼朝の御所を構えたのが、雪ノ下にある大倉です。現在は、大倉幕府跡という史跡が残っています。ここでは幕府の中枢であり、この後様々なエピソードが展開されていきます。

#9-2【史跡】富士川の戦い/1180年(治承4年)11月9日(平家越橋他)

→〒417-0003 静岡県富士市依田橋町1−1

富士川の戦いにて平家の本陣があったとされるいる場所です。富士川からはかなりの距離がありますが、当時の川の河口は大きく、この付近まで河原であったそうです。水鳥の物音に驚き総崩れとなり、京都に逃げ帰りました。
(岳南電鉄吉原本町駅徒歩10分)

#9-3【史跡】源頼朝と源義経の出会い(清水町八幡神社)

→〒411-0906 静岡県駿東郡清水町八幡39

富士川の戦い後に、頼朝と義経が出会った場所とされています。

第10回「根拠なき自信」

#10-1【史跡】伊東祐親の身柄を預かる三浦の館(横浜国立大学教育学部附属小中学校・西御門付近)

→〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門2丁目1−11

 三浦氏の館は、大倉幕府跡の北側にある西御門付近にあったそうです。三浦氏もこの3代先の世代に北条氏に滅ぼされているため史跡が残ってないようです。

#10-2【史跡】佐竹氏征伐(金砂城の戦い)/治承4年(1180年)10月

→〒313-0101 茨城県常陸太田市上宮河内町1911

www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp

#10-3【ロケ地】佐竹氏征伐(金砂城の戦い)/西山本門寺

→〒419-0313 静岡県富士宮市西山671

西山本門寺は、第2回で頼朝と政子がデートしていたシーン(史跡は三嶋大社)で使われた参道の下の方が金砂城として使われました。

第11回「許さざる嘘」

#11-1【史跡】平清盛の死(高倉天皇誕生地)/治承5年(1181年)2月4日

→〒600-8203 京都府京都市下京区屋形町7

源頼朝を前に倒れてしまった、平清盛の終焉の地です。

#11-2【史跡】墨俣川の戦い・源義円の死/治承5年(1181年)3月10日

→〒503-0104 岐阜県大垣市墨俣町下宿39−1(墨俣川合戦の碑)

第12話「亀の前事件」

#12-1【史跡】政子、源頼家を出産(比企氏の館・妙本寺)

→〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町1丁目15−1

比企氏の館跡には、妙本寺があります。頼家の長男一幡のお墓もあります。

#12-3【史跡】八重が伊豆の江間の館へ(江間公園)

→〒410-2221 静岡県伊豆の国市南江間768−4

身内を失った八重は、義時(小四郎)が預かり、伊豆の江間の領地にある屋敷に住まわせました。現在も江間公園には、北条義時の館跡としての史跡が残されています。

#12-4【史跡】政子指示で、亀の前の館を燃やす(小中太光家・逗子市小坪地区)

→〒249-0008 神奈川県逗子市小坪地区

頼朝の浮気がバレてしまい、小中太光家の屋敷に亀の前が匿われており、政子の名を受けた、父義政の妻である、牧の方の兄・牧宗親によって、後妻打ち(うわなりうち)の現場となったのは逗子市小坪地区だったそうです。

#12-5【史跡】亀の前を上総介広常の鎌倉屋敷で預かる(鎌倉市十二所の三郎の滝付近)

→〒248-0001 神奈川県鎌倉市十二所(朝比奈インター付近)

亀の前事件後に、亀の前を預かったのが上総介広常ですが、義時(小四郎)文句を言っていました。上総介の館は、この付近にあったそうです。

第13回「幼なじみの絆」

#13-1【ロケ地】義経が寝坊する(下田市吉佐美大浜海水浴場)

→〒415-0028 静岡県下田市吉佐美1900−13

義経が信州へ同行を希望するも、寝過ごしてしまうシーンとして登場しました。

#13-2 【史跡】信濃木曾義仲の陣

第14回「都の義仲」

#14-1【史跡】「倶利伽羅峠の戦い」にて木曽義仲が平家軍を破る(倶利伽羅古戦場)*寿永2年(1183年)5月11日

→〒932-0836 富山県小矢部市埴生

#16-2【史跡】木曾義仲が後白河法皇・後鳥羽天皇を幽閉(法住寺合戦)*寿永2年(1184年)1月3日(法住寺/後白河法皇御所)

→〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り657

後白河法皇の御所は、三十三間堂隣にある法住寺付近にあったそうです。奥には、法皇の御陵もあります。

第15回「足場固め儀式」

#15-1【史跡】頼朝に不満を持つ御家人が、政子・頼家がいる鶴岡八幡宮を奇襲(鶴岡八幡宮)

→〒248-8588 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31

#15-2 【史跡】大倉御所にて、上総広常が梶原景時により誅殺*寿永3年・1184年正月

→〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目6−26

第16回「伝説の幕開け」

#16-1【史跡】宇治川の戦いで源範頼、源義経が木曾義仲軍を破る(宇治川先陣の碑)*寿永3年(1184年)1月

→〒611-0021 京都府宇治市宇治塔川 宇治公園・中之島

木曾義仲によって、幽閉されてる後白河法皇を助けるため、源義経・源範頼が京を目指し挙兵します。当時は、宇治川が京の最終防衛ラインであったことから、両者が宇治川で対峙します。宇治川の辺りに先陣の碑があり、義仲軍を圧倒した、義経・範頼軍は、京入りします。

#16-2【史跡】木曾義仲が、源範頼、源義経軍に討ち取られる(滋賀県粟津地区琵琶湖沿岸付近)

→〒520-0802 滋賀県大津市馬場1丁目5−12(義仲寺)

宇治川の戦いに敗れた木曾義仲は、北陸に逃げる前に琵琶湖沿岸で義経・範頼軍に討たれたとされています。詳細の場所の史跡はありませんが、義仲寺(ぎちゅうじ)に、墓前があります。

#16-3 【史跡】一ノ谷の戦い*寿永3年/治承8年(1184年)2月7日

→須磨浦公園(〒654-0076 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町5丁目2)

平家を追い詰める義経軍が、一ノ谷で戦います。須磨浦公園に小さな史跡が残っていました。

#16-4 【史跡】鵯越の逆落とし*寿永3年/治承8年(1184年)2月7日

→逆落とし(〒654-0076 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町5丁目2)

義経の伝説とされている、鵯越の逆落としとされる地域です。

第17回「助命と宿命」

#17-1【史跡】木曽義高が藤内光澄により撃たれる(入間市清水八幡宮)*元暦元年(1184年)4月26日

〒350-1305 埼玉県狭山市入間川3丁目35−10

木曽義高が撃たれた付近には、八幡宮が作られていました。なんとも、悲しいラストでした。

#17-2 【ロケ地】木曽義高を討ち取った藤内光澄が政子の怒りにより北条義時によって処刑される(一碧湖/大池)*元暦元年(1184年)6月27日

→〒414-0051 静岡県伊東市吉田815−360 伊東駅よりバス有り

一碧湖神社の付近の駐車場から少し北側に行った付近です。

なんとも言えないシーンですが、しっかいとロケをしてという感じでカットが合いました。

鎌倉は恐ろしい所である

第18回「壇ノ浦で舞った男」

#18-1【史跡】屋島の戦い(屋島古戦場)*元暦2年/寿永4年(1185年)2月19日

〒761-0111 香川県高松市屋島東町

一ノ谷の戦いで敗れた平家は安徳天皇を連れて、四国高松の屋島に流れてきます。しかし、義経軍によって攻め込まれ、終焉の地である、壇ノ浦に流れていきます。

#18-2【史跡】壇ノ浦の戦いに向けて(防府天満宮)

→〒747-0029 山口県防府市松崎町14−1

壇ノ浦の戦いに向けて、義経軍が陣を構えた場所が、防府天満宮でした。13人の1人である大江広元のゆかりの地であり、長州藩の毛利家に繋がっています。

#18-2【史跡】壇ノ浦の戦い(壇之浦古戦場)*の元暦2年/寿永4年(1185年)3月24日

→〒751-0813 山口県下関市みもすそ川町21−1番

壇之浦古戦場には、八艘飛び伝説のモニメントが展示されています。

壇ノ浦を見下ろす火の山ロープーウェイの山頂には、安徳天皇が乗っていたとされる船の模型なども展示されていました。

yamaguchi-tourism.jp

平家と共に入水した安徳天皇を祀る赤間神宮も近くにあります。

JR下関駅より、バスで赤間神宮前・御裳川(壇ノ浦の古戦場跡)下車でそれぞれの場所に行くことができます。火の山ロープウェイ乗り場へは、御裳川より徒歩又は、直通のバスが1時間に一本出ています。ロープウェイの詳細については以下のサイトを参照してください。*運休期間もあるため注意

www.jalan.net

#18-3【ロケ地】壇ノ浦の戦い/坂東武者達が戦況を見るシーン(城ヶ崎海岸)

→〒413-0231 静岡県伊東市富戸

#18-4 【ロケ地】壇ノ浦の戦い/戦い後の義経が海岸歩くシーン(下田市吉佐美大浜海水浴場)

→〒415-0028 静岡県下田市吉佐美1900−13

一ノ谷の戦いや壇ノ浦戦いで、同じ場所がロケ地として使われていました。

#18-5 【史跡】義経が頼朝に鎌倉入りを止められる(腰越状・満福寺)*元暦2年(1185年)5月24日

→〒248-0033 神奈川県鎌倉市腰越2丁目4−8 満福寺

腰越状の史跡舞台となった満福寺です。義経の運命はこれより大きく変わります。

#19-1 土佐坊昌俊の義経襲撃・義経、京都拠点(佐女牛井之跡(さめがいのあと)/源氏堀川館跡)

〒600-8337 京都府京都市下京区佐女牛井町

文治元年(1185年)10月17日に鎌倉よりやって来た、土佐坊昌俊が義経の館を襲撃します。史実だと、頼朝の陰謀とされておりますが、本編では、義経の正室である郷御前(ドラマ名「里」)の陰謀とされています。静御前に嫉妬しての行動になります。義経は、これを機に、源頼朝討伐に出るも兵が集まらず、失敗し、逆に頼朝に追われる立場となります。

第20回「帰ってきた義経」

#20-1 北条義時が奥州藤原家(藤原泰衡)の元へ(接待館遺跡)

〒029-4445 岩手県奥州市衣川七日市場

#20-2 義経、藤原泰衡の襲撃/衣川の戦い(高館義経堂・義経の屋敷)*文治5年(1189年)閏4月30日 

〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所14

第21回「仏の眼差し」

#21-1 源頼朝上洛、後白河法皇と対面(長講堂/後白河法皇の御所 六条殿内の持仏堂)

〒600-8119 京都府京都市下京区富小路通六条下る本塩竈町529

建久元年(1190年)11月9日に、後白河法皇と源頼朝が初対面したそうです。法住寺付近より、六条殿に移ったされています。ご崩御された場所もこちらだと言われています。

第22回「義時の生きる道」

#22-1 後白河法皇が東大寺の大仏の目入れをする(奈良東大寺)

→〒630-8211 奈良県奈良市雑司町406−1

後白河法皇が崩御される前に、東大寺大仏殿の修復が完了したそうです。尚、今の大仏殿は当時のものではなく、江戸時代に再建されたものです。

第23回「狩りと獲物」

#23-1 【史跡】富士の巻狩り・曽我兄弟の仇討ち(井出の代官屋敷/旧井出館跡)*建久4年(1193年)5月28日

→〒418-0117 静岡県富士宮市狩宿91

源頼朝が富士の巻狩りの時に、宿営地とした場所とされています。曽我兄弟の仇討ちの現場でもあります。

第24回「変わらぬ人」

#24-1 【史跡】源範頼幽閉される(修善寺鬼門日枝神社信功院)

→〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺964

源範頼の墓

→〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺1082

第25回「天が望んだ男」

#25-1【ロケ地】八田知家土木工事で源頼朝・安達盛長(九郎)が通れない(裾野市旭滝)

→〒410-1104 静岡県裾野市今里37−14

#25-2 【ロケ地】源頼朝と政子が話すシーン(裾野市景ケ島依京寺)

→〒410-1103 静岡県裾野市葛山10

#25-3 【史跡】橋供養に参加する源頼朝(旧相模川橋脚)

→神奈川県茅ヶ崎市下町屋1丁目3

#25-4 【史跡】橋供養の帰り道に落馬する源頼朝(源頼朝落馬の地)

→〒251-0047 神奈川県藤沢市辻堂2丁目17−1

#25-5 【ロケ地】橋供養の帰り道に落馬する源頼朝(不二聖心女子学院敷地内)

→〒410-1126 静岡県裾野市桃園198

第26回「悲しむ前に」

#26-1 【史跡】源頼朝の葬儀(源頼朝の墓・白旗神社/持仏堂)

→〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門2丁目5

第27回「鎌倉殿と十三人」

#27-1 【ロケ地】後鳥羽上皇御所(えさし藤原の郷)

→〒023-1101 岩手県奥州市江刺岩谷堂小名丸86−1

#27-2 【史跡】後鳥羽上皇御所(高陽院跡)

→〒604-0087 京都府京都市中京区 小川通丸太町(ローソン 丸太町小川店隣)

 

第28回「名刀の主」

#28-1 【史跡】梶原景時が上洛中に北条の手に者に追われて、自ら自害の道を選ぶ(梶原山)

→〒420-0903 静岡県静岡市葵区長尾1134−102

 

第29回「ままならぬ玉」

第30回「全成の確率」

#30-1【史跡】鎌倉を追われた阿野全成、八田知家に誅殺される(大六天の森)

→〒321-4212 栃木県芳賀郡益子町上大羽

第31回「諦めの悪い男」

#31-1【史跡】北条時政の館で比企能員が誅殺される(名越の切り通し付近)

→〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町5丁目19−6

第32回「災いの種」

第33回「修善寺」

#33-1【史跡】源頼家の幽閉と誅殺(曹洞宗福地山 修禅寺)

→〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺964

第34回「理想の結婚」

第35回「苦い盃」

第36回「武士の鑑」

#36-1【史跡】畠山重保が謀反を企てたと疑われ三浦義村の手によって討たれる(由比ヶ浜)

→〒248-0014 神奈川県鎌倉市由比ガ浜4丁目7−1(推定値)

#36-2 【史跡】畠山重忠の乱・幕府軍本陣(畠山重忠公遺烈碑)

→〒241-0021 神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目1(二俣川駅最寄り)

#36-3 【史跡】畠山重忠の乱・終焉の地(畠山重忠の乱古戦場跡)

→〒241-0021 神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目1(鶴ヶ峰駅最寄り)

#36-1【ロケ地】畠山重忠の乱合戦シーン(朝霧高原富士山ワイナリー付近)

→〒418-0101 静岡県富士宮市根原 宝山498

第37回「オンベレブンビンバ」

第38回「時を継ぐ者」

第39回「穏やかな1日」

第40回「罠と罠」

第41回「義盛、お前は悪くない」

#41-1 和田勢、大江広元の館を襲撃(大江広元邸跡)

#41-2 和田勢、北条義時の館を襲撃(大倉館跡)

#41-3 和田勢、鎌倉幕府(大倉幕府)の館を襲撃(鎌倉市大倉幕府跡)

#41-4 政子の指示で鶴岡八幡宮に避難(鶴岡八幡宮)

#41-5 和田勢、大江広元の館を襲撃(大江広元邸跡)

#41-6 和田勢を向かい撃つ北条泰時(鶴岡八幡宮若宮大路)

#41-7 和田義盛終焉の地(由比ヶ浜・和田塚)