いにしえのまち

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【聖地巡礼】2021年大河ドラマ「青天を衝け」@一橋家家臣・幕臣・パリ随行編(#13〜#24)

2021年大河ドラマ「青天を衝け」の舞台情報をまとめます。
こちらでは、渋沢栄一が故郷である血洗島を出て、京都に向かい、一橋家家臣・幕臣、そしてパリ随行という自分の居場所を見つける旅路を描いたエピソードの舞台(史跡・ロケ地)を紹介していきます。
このページでは、第13回「栄一、京の都へ」から第24回「パリの御一新」を紹介です。

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↓第1回〜血洗島・水戸・江戸城↓

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第13回「栄一、京の都へ」

#13-1 栄一、喜作が京都で宿泊した宿があった場所(史跡:京都市内三条小橋)

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この付近の宿に宿泊していたそうです。

#13-1 池田屋事件(史跡:現池田屋 はなの舞)

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元治元年6月5日(1864年7月8日)に新選組が、尊皇攘夷派の土佐藩・長州藩の志士が潜伏していた、三条にある池田屋を襲撃したのが、池田屋事件です。跡地は、居酒屋チェーン店である、「はなの舞」の店舗となっています。外には池田屋事件についての案内がされております。

第14回「栄一と運命の主君」

#14-1 一橋家京都拠点(史跡:若州小浜藩邸跡)

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二条城からそれほど遠くない場所にあります。栄一はここで一橋家家臣として働き始めました。
住所:京都府京都市中京区西ノ京池ノ内町19−9

#14-2 慶喜が参預会議を終わらせる(史跡:京都御所内)

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参預会議のメンバーだった、近衛家の屋敷跡です。大河紀行で紹介されてました。京都御所北側の朔平門付近にあります。

第15回「篤太夫、薩摩潜入」

#13-1 栄一(篤太夫)と西郷隆盛(吉之助)が豚鍋で会食(史跡:京都市内京都市相国寺)

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作中で、西郷隆盛(吉之助)と豚鍋を食べた場所とされております。
本人の記録では3回はご馳走になったそうです。

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第16回「恩人暗殺」

#16-1 平岡瑛四郎が暗殺された場所(史跡:京都市内西町奉行所跡)

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平岡瑛四郎が水戸の浪士によって暗殺された場所の近所には、西町奉行所がありました。

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JR二条駅駅前の西ノ京北聖町付近にあります。

第17回「篤太夫、涙の帰京」

#17-1 禁門の変(史跡:京都御所蛤御門)

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禁門の変で幕府軍に加勢した薩摩により長州軍を撃退された蛤御門です。
当時のままになっているため被弾跡が残っています。

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当時を物語る案内もありました。

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薩摩が近代兵器の大砲を持って蛤御門に突進して行く御所の西側です。

#17-2栄一・喜作が、お千代・およしに再会(舞台:埼玉県深川市深川宿宿根地区)

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場所的には少し岡部よりです。岡部藩代官所の手前です。血洗島には近づくことが出来ない栄一(篤太夫)たちのへ配慮だと思います。

#17-3 天狗党が決起する

第18回「一橋の懐」

#18-1 歩兵取立御用掛として栄一(篤太夫)が一橋領の備中に行く際に立ち寄った道場(史跡:岡山県井原市内「私立興譲館高校」)

井原鉄道「井原駅」より、徒歩20分(自転車5分)程度の橋を渡った先にその史跡があります。今でも私立の高等学校として地域の教育拠点としての機能を維持しています。
今回は、駅のレンタルサイクルを活用して現地に向かいました。また、現地の赴いたところ職員の方を見かけたため敷地内にある、旧講堂を撮影することも出来ました。

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第19回「勘定組頭 渋沢篤太夫」

#19-1 木綿の藩札(今市札)交換所(史跡:兵庫県高砂市工楽松右衛門旧宅)

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栄一(篤太夫)が考案した今市札が展示されていた、工楽松右衛門旧宅です。交換所が存在していた場所とは異なります。

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今市札の実物の展示がありました。

#19-2 14代将軍の徳川家茂が倒れる(史跡:大阪城)

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長州征伐の失敗から大阪城で病に倒れる徳川家茂です。

第20回「篤太夫、青天の霹靂」

#20-1 幕臣となった栄一(篤太夫)が謀反人の捕縛を命じられる(史跡:京都市大徳寺)

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新撰組の土方歳三が護衛として栄一(篤太夫)に同行して謀反人を捕縛して場所です。
大徳寺は、歴史上の様々な人のお墓がありました。

第21回「篤太夫、遠き道へ」

#21-1 東照大権現様の遺訓(史跡:静岡市清水区久能山東照宮)

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 作中とはあまり関係がありませんが、栄一(篤太夫)が慶喜に謁見し、東照大権現様の遺訓を言い合うシーンに感動したため、久能山東照宮にある遺訓を見に行って来ました。

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今の久能山東照宮の宮司さんが作ったそうです。

第23回「篤太夫と最後の将軍」

#23-1 大政奉還(史跡:京都市二条城二の丸御殿)

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大政奉還の舞台、慶喜は、江戸城ではなく、二条城に政治を行っていた唯一の将軍だと言われています。二の丸御殿内は撮影禁止でしたが、大政奉還の舞台である、二の丸御殿黒書院内に入る事が出来ました。

#23-2 岩倉具視を訪ねる維新志士(史跡:京都市岩倉地区岩倉具視幽棲旧宅) 

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 西郷隆盛(吉之助)・大久保利通が通った岩倉具視の屋敷です。倒幕運動や王政復古を画策し、話し合いが行われた場所です。

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しかしながら、現存する屋敷は場所的には異なっており、離れた場所かつ、もう少しオンボロだったそうです。著名人が訪ねてくるようになったため立派な屋敷に移設、改修が行われてらしいです。

入場:400円(予約制)

第24回「パリの御一新」

#24-1 馬に乗る民部公子のお供をする栄一(篤太夫)(ロケ地:赤城自然園)

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撮影は未公開エリアで行われたそうですが、現場を確認して来ました。

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作中通りに、馬に乗った民部公子様とお供をする栄一(篤太夫)が歩いてそうな場所でした。
念の為、公開エリアを一回りして来ました。

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